富国強兵 殖産興業

明治維新の原点に立ち返ろう。

政治家と政治屋 2

政治家と政治屋の大きな相違点、

それは、責任感の有無、意識につきる。

公と私の峻別が出来るか、ということでもある。

公私混同を家族と共に成し遂げる?,馬鹿な政治屋が最近は多いが。

家族を自分のブレインにして恥じないものもいる。

家族しか相手にしてくれなければ、政治を止めればよいのだ。

 

因みに、私が、家族と共に永田町に住んだのは、平成9年から平成21年までの、13年間である。活動の拠点を築いたのは、昭和62年であるから、半分以上を家族と共に暮らした訳である。

住むことのきっかけは、胆嚢を患い、平成9年の4月に聖路加病院で手術を受けたこと、それと、その前年に暴力金融業者を2社叩き潰し、反動で、私の子供たちが誘拐されかける、などと、危機管理の必要性からであった。漠とした体調不良も感じていた。また、永田町が、日本で一番安全な町と思っていたからでもある。

(ついでに、永田町を引き払ったのは、夫婦で癌になったからである。)

事務所を兼ねていたので、日常的に休日も来客を迎えることが多く、妻も子供たちも、よく協力してくれた。

来客は、右から左まで、多士済々、裏も表も、あらゆる階層の人々であった。

広域B団の大幹部、右翼の頭たち、連合赤軍OB、連合幹部、

六大学の元全共闘、元反全共闘、私の地元の人々、政治家たち、

ゼネコンの幹部など、有名、無名、数多くの人が来てくれた。

地元や東京の、テレビ・新聞の取材もあった。

 

子供が幼かった為、諭したことがある。

「お客様は、私に挨拶に来るのであって、お前たちにではない。

私が、いつも来客にふんぞり返って応対するのは、ご先祖様のお陰と、私の実力なのだ。絶対にお前たちのお陰ではない。

よって、お客様が、お前たちにヘイコラしても、勘違いをしてはならぬ!」 と。

歴史は繰り返すのだ!

(私は、小生意気なガキであったそうだ)

 

子供たちは素直に、謙虚に受け止めてくれたので助かった。