政治家と政治屋
政治を志したとき、子供の頃の60年安保の熱狂とケネディの大統領当選の熱気が原点かと、今の今まで、思い込んでいた。
当時、私は、10歳、親と担任教師の差し金で、英語を習い始め、又、学習参考書は、中学のものを与えられ、猛スピードで英才教育の環境に入っていった。
新聞は、小学校に入る前から読んだ。
が、この歳になって、それが違うことに、はたと気がついた。
もの心ついた頃、両方の祖母から、戦後の各種改革、財産税、預金封鎖、農地解放等について、愚痴を聞かされることが多く、特に、母方の祖母は、丙午年の生まれの責任を考えてか、
「坊や、政治家になって頂戴、日本が負けたのは、政治家が悪かったからだ。勉強をして、東大を出て、代議士になって欲しい。その為に、金は残してあげる」等々、凄まじかった。
30歳そこそこで郡の愛国婦人会の会長になってしまい、女性ながら、いや、女性ゆえに、戦争責任を感じていたのであろう。
更には、父が社会福祉の仕事をしていて、その関係で、施設の子供たちと0歳の頃から接し、父の慨嘆を聞くことも多かった。
10歳の時の出来事は漠とした潜在意識を、顕在化させる弾みであったのだ。
高校卒業の年、東大入試が中止になった時の喪失感の大きさは、今に続き、思えば、自分の未熟さをあらためて思い知らされる。
育てられ方の悪さも加わり、恥ずかしい。
親たちには申し訳ない限りだ。
それ故に、したたかな政治屋とはずっと一線を画して来たつもりだが、こんにち、それも仇となってしまったか?
いつも、少数派になる。
しかし、無念だが、生ある限り、頑張る。
私にしか出来ない何かを求めて!
今の体調があと5年続いてくれれば、何とかなるか!