富国強兵 殖産興業

明治維新の原点に立ち返ろう。

富山大空襲

富山大空襲(とやまだいくうしゅう)は、1945年(昭和20年)8月1日から8月2日にかけてアメリカ軍富山県富山市に対して行った空襲。当時の市街地の99.5%を焼失し、広島長崎への原子爆弾投下を除く地方都市への空襲としては最も被害が大きかった。

 

ということで、当時市街地から外れたところの病院に入院中であった父の妹が避難の途中に落命した。避難に付き添った祖母は50歳、瞬間、天を、神仏を呪ったと言っていた。

旧富山藩の貧乏士族の家から、12歳で、我が一族に嫁いで来て、女学校に進学し、祖父と共に、村の医院と助産院を営み、11人の子供を産み、7人を成人させた。祖父は医者の不養生で、昭和14年に49歳でなくなった。

跡取りの私の父は、出征中で、困ったどころではなかったらしい。でも、分家や番頭達がいたから、良しとせねばならぬが。

 

因みに母は、同年2月に早稲田大学の専門部に合格していたが、3月10日の

東京大空襲を知った祖父の意向で、進学を中止し、富山市の吏員として、銃後の守りを固めていたという。

 

私の両親の結婚は、昭和22年5月5日で、可能な限り盛大に行われたという。小柄な母が、一族郎党総計70人ほどの家に嫁いで来たのだ。

母方が、苗字帯刀の大地主であったが故の政略結婚である。