娘の就職活動をみて
昨春、娘が「大学院の進学を断って就職する」と、私に反旗を翻した。
結局は、米国資本の会社のお世話になることになって、今は実務研修中らしい。
その過程を見て、結論から言えば、極論すれば、「国が壊れる、滅びる」と感じた。
ここでも、産学協同であろうが、マニュアル化されたというか、組織化されたというか、
懇切丁寧なリクルートの装置・環境・しくみが準備されていて、愕然とした。
こんなことにエネルギーを大量消費しているのは日本だけではなかろうか?
我が国の資本主義を模倣し続ける隣の半島国家くらいはそうかも知れぬが、
地球儀を見て考えると、これは極東だけの出来事であろう!
手とり足とり、幼稚園・保育園でもあるまいに、リクルート創業者はここまで予測できたのかな? (私、個人的には嫌いではないが、私も広義の「リクルート事件」の被害者ではあるので。)
娘には、世間の風潮、流れに平仄を合わせない方がよいと、幼少期から言い聞かせてきたのであるが、不肖の娘になりました。
私、我が一族が没落の底的時期に生まれたので、広い家での、寒々とした感じが、記憶のなかの中心にある。
でも、母方の祖父母は、私の出生祝いとして、田んぼ一枚位の祝をしてくれた。
私が大切にしていたのは、私の乳母車であった。
それは立派なもので、私が成人しても残っていたが、父が通勤用の家を造った時に、邪魔で処分したらしい。
鉄製のクロムメッキの台車があり、ゴムタイヤで、四輪共に太いバネがついており、その上に漆塗りの箱が(江戸期と変わらぬ)乗っており、ついでに螺鈿が施されていた。
田舎では特に珍しいものではなっかたかもしれぬ。
祖父母は、外孫ではあったが、初孫の私を特に愛してくれ、幼稚園の行事からして、大騒ぎで、ハイヤーだタクシーだと田舎のお祭りになってしまうのが常で、その度に、私はぐったりとして、熱をだし、寝込んでおしまい。
中学入試の合格のときは、紅白の餅を自らついて、持参してくれた。
私が生まれた時、祖父は50歳、祖母は44歳、本当に甲斐性のある夫婦であった。
今の自分のことは、言うまい。比較にならぬ。
でも、手とり足とりの躾、教育は受けなかった。
日本を当たり前の国に、することだ。
幼稚園並みの大学生は、阿呆の粗製濫造装置の成果か?